「会田誠 天才でごめんなさい」展
森美術館の展示はいつも刺激的で、面白い。今回の会田誠展は、日本のそのまんまを表している。流行とかオタク文化とかエログロとか、盛りだくさんの混沌を楽しんでる感じかと思えば、「灰色の山」のような深読みすればいくらでも深読み出来てしまう哲学的香りの作品もある。
ホームレスの人たちがいる新宿に設置したところ、すぐに撤去されたという段ボールでつくられた姫路城ばりの「新宿城」とか、児童ポルノ、児童虐待と騒がれた作品群の18禁の展示室があったり。どれも基本はユーモアと皮肉と逆接。遠目には日本の伝統的水墨画の山水のように見える「灰色の山」は、近寄ってみると丁寧に描かれたサラリーマンの死体の山だ。そのテクニックに圧倒させられながら、ゾッ。
芸術家というのは、最も浮世離れしているようでいて、最も時代の空気を体現してしまう。霊媒師とか、そんな感じのものだと思う。「考えない人」というおにぎり頭のフィギュアは、会田誠自身を表してるそうだが、弥勒菩薩像のポーズで半目をして、無我の境地。
作品を産み出すことで無我の境地になるのか、無我の境地になるから時代を映す作品ができるのか、作品を作ってるときが一番の無我の境地なのか。
それにしても、何となくモヤモヤした気分を抱いた。
例えば、ポスターの部屋。小中学生のころに誰もが描かされた記憶のある「みんな仲良く」とか「平和」とかのポスター。会田はその「描かされた」ことが気持ち悪かったそうで、それを皮肉った作品群。わざと稚拙に見せて描かれた絵にわざとらしい標語のような言葉がのせられた作品群。面白かったが、少しモヤモヤ。
そのモヤモヤが何かと言えば、それらの作品は現代アートとして六本木森ビルのトップにある森美術館が大々的に取り上げて展示しているからこそ、見に来た人たちは現代アートとして認知するのではないか、ということだ。
会田誠は日展の権威とか、美術とはこうあるべきという価値観を否定して作品を作っているわけだが、一方で、美術館で展示することを好む。現代アートの聖地としての森美術館が会田誠の作品に権威を与えているわけだ。会田誠の作品はアートとしてコレクターが高額で購入する。
ポスター群の作品をアキバの商業ビルのフロアで展示していたら、いったいそれを現代アートとして認知するひとがどれだけいるのだろうか。むしろそういう展示の方が、権威を否定していて、アートな展示なんじゃないかとさえ思えるが。
つまりは、権威や価値観を否定する会田誠の作品群を、これこそが日本の現代アートだと権威を与える美術館が展示することの矛盾。モヤモヤ感の正体は現代アートの中に自己矛盾は常にあるということなのかもしれない。
2013.4.3
http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/about/index.html
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