LOVE展 「初音ミク」

 

 森美術館で開催中のLOVE展で、最後の展示室には初音ミクが登場する。

 

 初音ミクとは何か。YAMAHAの開発した音楽ソフトの名称で、音符を打ち込めば簡単にオリジナルの音源が作成出来るというものだ。言葉を打ち込めば、歌として音源が作成できる。

 このソフトで作った作品をユーザーたちがネット上で共有する。「ピアプロ」というサイトで共有されると、それに別の誰かがイラストをつけてイメージと音楽の作品にする。さらに、また別の誰かがイラストを3D化する。するとまた別の誰かが今度は歌に合わせた振り付けをつくる。すると初音ミクは踊りだす。このような音楽ソフトが元となっているバーチャルなキャラクターを「ボーカロイド」と呼ぶ。

 初音ミクは常に多くのネットユーザーによって、二次創作、三次創作が繰り返される。それらのユーザーたちは、そうやって作り上げていくことを楽しむ。3人よれば文殊の知恵どころではない多次創作の総体が「初音ミク」である。たくさんのネットユーザーたちの愛が初音ミクを作り上げる。

 

 現代アートとして初音ミクが取り上げられているということは、とても興味深いことだ。一部の人気の高いバージョンでは著作権が主張されているものの、初音ミクは特定の誰かの作品ではない。しかも芸術作品として作成されたものではない。しかし、その総体は既に現代アートである。それは3D化のクオリティの高さとか、音楽的な質によるからではなく、インターネットの時代の不特定多数の人々のつながりが作り上げたものだという点において、現代アートなのだ。

 芸術は時代を写し、古い価値観に対して、新しい価値観を作り上げていくものである。芸術が特定の天才によって創作され、日展や二科展などの派閥の中から認知されるものであった時代は、IT技術とインターネットの普及によって、終わりを告げつつある。芸術は「鑑賞するもの」から、「作るもの」「作成に参加するもの」になり、誰でもクリエイターなのだ。

 誰かが作った初音ミクの音楽を「歌ってみた」とか、振り付けを「踊ってみた」という現象も起きて、女の子たちが「ダンスロイド」となってリアルに踊るという流れもある。

 初音ミクはIT時代の「リヴァイアサン」である。「リヴァイアサン」とは、市民革命の頃のイギリスにおいて、ホッブズが、王のことを「人々の意志の総体」として説明するのに用いた、王を象徴する怪物だ。現代において、初音ミクは、たくさんの人の多次創作の総体であり、彼らの存在の象徴である。音楽、美術、技術、ダンス、文芸、ハイカルチャー、サブカルチャーなど、あらゆる芸術分野の壁を越え、国境も越えて形成される。

 初音ミクは現代のインターネットが生んだ芸術現象である。

 

 森美術館での展示において、「初音ミクとは何か」という問いに、ネットユーザーたちは「アイコン」「自分たちをつなげるハブ」と答えている。この「つながる」という意識はインターネット時代の人々の意識の中枢にあり、そのつながりの中では、リアルな世界の社会的立場や力関係や経済力といったものがあまり影響せず、フラットな関係性がある。みんな、同様に発信者であり、表現者であり、鑑賞者なのである。

 

 かつて芸術は宗教や王や貴族の権威に奉仕するものであった。その後、市民革命を経て芸術は市民に解放された。美術館にある美術品は誰でも鑑賞することが出来るようになった。

 その後、写真やレコード、映画などの複製技術が発達して、都市のブルジョワでなくても多くの人が芸術作品に触れることが可能になった。より芸術は一般化し、一方で、芸術は権威に奉仕するものではなく、むしろ権威を否定するものとなり、芸術のための芸術になっていった。20世紀、人々にとって芸術は鑑賞するものであって、芸術家と大衆の間には大きな隔たりがあった。芸術家になるのは、才能と環境に恵まれ、強い意志を持つ特別の人だった。

 しかし、IT技術は、表現する手段を簡便化し、なおかつ安価にした。表現することの敷居を低くし、誰でもクリエイターの時代になった。今、芸術は何のためにあるのか。初音ミク現象にヒントはあるように思う。芸術は人々を「つなぐ」。

 

 20世紀においては、芸術とは難解なもので、一般人には理解できないもの、という印象があったが、近年の現代アートはそういった芸術の難解さを否定するものが多い。鑑賞者にも作成に参加してもらうことで作品が完成するといったものも多く見られるようになり、明解なコンセプトを持つものが中心である。鑑賞者が単に鑑賞者であるのではなく、積極的に関与すること、考えることを求める。美に奉仕する芸術家というよりも、芸術家は作品を通じて社会と関わりを持とうとする。六本木アートナイトでは参加型や体験型の作品が多かった。

 

 太古、絵画のはじまりと考えられるのは、ネガティブハンドと呼ばれるものだ。フランスのメルル洞窟などに残っている。これは、口に炭を含んで顔料にし、手を岩や壁にあてて手の輪郭にそって炭を吹きかける。そうすると手形が残る。芸術は人間の痕跡、存在証明を残そうとすることから始まった。

 そう考えるなら、より多くの人が関与し、痕跡を残すことが芸術の役割だ。参加型アートや初音ミク現象は、太古のネガティブハンドにも通じる芸術行為なのだ。

 

初音ミク music video [tell your world]

http://www.youtube.com/watch?v=PqJNc9KVIZE

 

台湾公演

http://www.youtube.com/watch?v=0BTkCMSuD-Y

 

ネガティブハンドの画像は以下より転載

http://haya38.exblog.jp/13933028/

 

 

 

御苗場2013

 

 http://www.onaeba.com/about.html

 

 御苗場という写真のイベントに参加して4回目になる。今年は1月31日〜2月3日の横浜での御苗場に参加した。

 アマチュアとかプロとか関係なく、誰でも参加可能な写真のアンデパンダン展といったところ。サイズもテーマも表現方法も自由。それぞれが工夫を凝らしてわずかなスペースに作品を展示する。

 毎年、参加者は増え、申し込みは早い者勝ちなので、あっという間に100以上あるブースは埋まってしまったそうだ。4年前に初めて出展したころは鉄道や鳥、風景を撮るハイアマチュアな方々とか料理写真を撮るグループとかが多かった。年々、表現のレベルも上がっていて、写真を単純に趣味としてでなく、アートとして捉えている人が増えていることがわかる。

 横浜での御苗場は毎年CP+というカメラやプリンターなどイメージング技術の各メーカーの発表会の一角で行われている。

 日本においては写真は「撮るもの」であって、「買うもの」「コレクションするもの」という認識はあまりない。CP+の一角に御苗場があるというのも、そのことを象徴している。多くの人はカメラを見に来て、御苗場にも立ち寄る。皆、「撮る」ことが楽しいのである。

 大学で教えていただいているある先生は、「買う」「コレクションする」という文化がないから、日本では写真表現が発展しないのだと嘆く。確かにそれは否めない。御苗場に写真を「買うもの」として見に来ている人はごく少数だろう。しかし、表現のレベルは年々上がっている。それはこのイベントを運営するCMSの人々の意識がアートとしての写真文化の向上を目指しているからだ。

 御苗場では6人のレビュアーがそれぞれ1名のレビュアー賞を選ぶ。6名のレビュアー賞受賞者はそれから半年間、「夢の先プロジェクト」に参加が出来、毎月ワークショップを受けることができる。その6名の中から写真集を作る権利を与えられる人が選ばれる。

 単に写真集なら、今時、インターネットでフォトブックを作ることが出来る。しかし、CMSが目指すのは、ニューヨークに持っていっても通用するアートとしての写真集だ。昨年の横浜御苗場で選ばれた山下さんの作品が素敵な写真集になって、今年の御苗場には展示されていた。

 御苗場が単に趣味の集まり、同好会の発表会的な展示の場に終わらないのは、その意識の高さにある。そこに誰でも参加出来ることにも価値がある。カメラもフィルムも高価なものであり、写真を撮るのは技術が必要だったころは、「カメラが趣味です」というのは富や知性のステータスシンボルだった。しかし、デジタルカメラの登場で、誰でも容易に写真は撮れるようになり、フィルムカメラほどお金もかからない。カメラ女子と呼ばれる子達も多く、スマートフォンでいい作品を撮ることも出来る。今回のレビュアー賞にはiphoneで撮った作品の人もあり、私は一眼カメラで撮った作品とともにiphoneの作品も展示した。

 デジタル化したことで、多くの人が写真表現に親しむようになり、層は厚くなっている。従来の写真の枠にはまらない自由な表現も増えている。かつては写真の展示といえば、「どこのカメラで撮ったの?」「露出は?」「シャッタースピードは?」「レンズは?」という会話が多く聞かれたものだ。しかし、御苗場において、そんな会話はほとんど聞かれない。ちゃんと表現として写真を見る人が増えている。カメラ自慢をしたくて写真を展示しているわけではないのだ。

 カメラにこだわらずに写真表現を楽しむということが、カメラやイメージングの産業においては、いいことなのかどうかはわからない。日本のカメラやイメージングの産業を支えて来たのは、多くのアマチュアカメラマンの人々であり、彼らは競うようにいいカメラ、いいレンズ、いいフィルムを求めてきたのだった。

 デジタル化は大きな価値観の変革を生んでいて、写真は「記録するもの」から「表現するもの」へと重点が変わりつつある。御苗場での盛り上がりはそのことを示している。ここにも「表現の民主化」「情報発信の民主化」と呼べる現象が見て取れる。

 一方で、誰でも安価に簡単に撮れるということは写真表現を安易にしているというのも事実であり、「写真表現を薄っぺらなものにしている」「本物の写真が理解されにくい」と指摘する人もある。しかし、自らが表現として写真を始めれば、当然、ブレッソンやロバート・フランクやアンセル・アダムスなどの作品に興味を持つ人も増える。結果として、写真に対して目が肥えてくる人は増えるのだ。そうやってまた、日本の写真表現の層は厚くなる。

 

 私は今回、幸運にもレビュアー賞に選ばれ、夢の先プロジェクトに参加させていただいている。私自身、フィルムカメラを使っていたころは写真は高価な遊びであったが、デジタルカメラに出会ったことで、写真を表現として捉えるようになった一人である。

 この幸運に感謝し、日本の写真表現をさらに高めることに貢献できるような作品を作っていきたい。

 2013.4.23

 

 


 

木村伊兵衛賞

菊地智子「I and I

 

http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201302070789.html

 

 

 2012年度の木村伊兵衛賞は2人。その内の一人が菊地智子だ。12月に東京都写真美術館で「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」展で菊地智子のこの受賞作品を見た。このグループ展の中で、彼女の作品が一番印象的だった。その作品が木村伊兵衛賞を得た。

 中国で性同一性障害のクイーンたちの姿を追ったものだ。ヒリヒリするようなクイーンたちの表情。菊地はアサヒカメラに次のように書いている。

 

「違った時代や社会背景において、誰もがそれぞれ異なる制約や圧力を受けて生きている。クイーン達は自らの生き方を通し、私たちが本当に立ち向かわなければならないのは、外からの圧力ではなく、結局は自分自身なのだということを示唆してくれた。周囲に惑わされることなく、自分を偽らずに正直に生きること。どんな状況でも自分を受け入れ、信じること。孤独や、暗闇から逃げずに、じっと目を凝らして見つめること。『彼女たち』の生き方は、何を信じて良いかわからない、いまの時代に対するメッセージでもある」

 

 自分らしく生きようとすることは、こんなにも戦いの連続なのかと作品を見ていて、感じるとともに、何か勇気づけられる。ジェンダーの枠とか、社会常識とかからだけでなく、生物学的な枠からさえ、逸脱してでも自分らしくあろうとする姿。菊地自身が撮りながら救いを感じていたのもわかる気がする。

 写真とは何か。

 同じく「日本の新進作家」展で展示されていたのは、現代アート的アプローチの作品が多く、コンセプトを見てはじめてその意味がわかり、写真を改めて見るとその面白さがわかる、といった種類のものだ。しかし、菊地の作品は、コンセプトとかよりも、まず写真が迫ってきた。クイーン達の体温や匂いさえ感じさせるような迫力があった。現代アートではない、「写真」なのである。言葉がなくても伝わるものがある。クイーン達の悩み、苦しみ、嫉妬、羨望、真摯さ、純粋さ、何よりも彼女達の生きている実感のようなものが伝わってくる。現代アートの面で写真が注目されるようになってきており、ドキュメンタリー的写真も、コンセプトありきのソフィスティケイトされた謎かけのような写真が多くなって来ている中、木村伊兵衛賞は「これこそが写真だ!」「これこそが写真家のあるべきスタンスだ!」と言っているかのようだ。菊地智子のスタンスは、クイーン達と同様に「腹をくくってる」感がある。

 

 写真はデジタルカメラで誰でも簡単に撮れるようになって、スマートフォンのアプリでアートっぽい作品を作ることだって簡単だ。写真においては特にこの傾向が強い。そこでの創作は「遊び」なのだが、芸術は誰にでも作り、参加し、発表できるものになった。

 一方で、そのことが芸術を薄っぺらなものにしてまうのではないかという危惧を持つ人もある。木村伊兵衛賞の今回の選定は、そういった危惧から、もう一度写真の原点を見つめようとしたものともとれる。

 

 自分は写真を撮る者として、菊地智子のように腹がくくれているかと自問したのだった。

2013.4.19

 

 


 

志賀理江子「螺旋海岸」


http://www.smt.jp/rasenkaigan/

 

 国立美術館の「アーティスト・ファイル」展で志賀理江子の「螺旋海岸」を見た。今話題の作品だ。畳くらいの大きさに引き延ばされた写真が会場にこれでもかというほど詰め込まれていた。あまりに狭くて作品をよく見ることも出来ず、よさがわからなかった。しかし、先日ある書店で「螺旋海岸」の写真集を発見。美術全集のような大型本であった。

 写真集で見ると、その内容が迫って来て、すごさがわかった。せんだいメディアテークでの展示は見に行っていないが、きっとそこでの展示ならもっとすごかったんだろう。

 「すごい」という表現がいいのかどうかわからないが、「すごい」としか言いようがない。

 志賀理江子は6年前から北釜に住み、地域の行事などを記録しながら作品づくりをしている。せんだいメディアテークのHPには、以下のように紹介されている。

 

この展覧会は、自らの生活環境や経験と写真表現を一体にしようと探求してきた志賀の現時点での成果を提示するものです」

 

 「螺旋海岸」を見て、柳田國男の民俗学を連想した。柳田は各地の民間伝承や風俗を実際に訪ね歩いて集め、民俗学をつくりあげた。それと同じことを彼女は写真で行っている。不運にも東日本大震災での津波の被害を北釜の人々とともに受けたことが、この作品に凄みを与えている。津波が無ければ、この作品はもっと違う表現であったかもしれない。

 ホラー映画のような不気味なイメージが随所に織り込まれている。震災から2年が経つが、東北の人々の悲しみや痛みは、今も深く残っていて、それをまざまざと見てしまう。海から帰って来た死者たちのようなイメージ、生きているものに絡み付いている死者のイメージ、むしろ全ては亡くなっていってしまった人々の姿なのかとも思えるほどであり、織り交ぜられる巨大な岩のイメージは、作品全てが墓地の光景であるかのように思わせる。

 震災以来、目にする東北の写真の多くは被災地の惨状を写したものか、悲しみにも負けずに明るく頑張っている東北の人々の姿であった。人々の心の奥深い部分に刻み込まれてしまったもの、しまい込まれているもの。実際にそこに生き、ともに苦しんだ人だからこそ、この表現が可能、もしくはゆるされる。

2013.4.16

 


 

フラッシュモブについて

 

 

 先日、NHKのクローズアップ現代で、「フラッシュモブ」というものを取り上げていた。不特定多数の人がネットなどで呼びかけ合って、ある日ある時間ある場所に集まって、イベント的なことを行うというものだ。この現象自体は知っていたが、フラッシュモブと呼ぶことを初めて知った。

 日本では2ちゃんねるなどのオンラインで繋がっている人たちが、「オフ会」と称してリアルな場所に集まるという動きが2000年代から起こっているが、これもフラッシュモブの範疇だろう。都心に映画マトリックスのスミス役の扮装をした人たちが大量に集まった「マトリックスオフ」というのが有名だ。

 インターネットは、それまでにはあり得なかった人々のつながりをつくった。それは薄いものかもしれないが、そのつながりが生み出すものに驚かされる。

 

お台場でフラッシュモブ

http://www.youtube.com/watch?v=Fg6riVwmLXg&NR=1&feature=fvwp

 

 マイケルジャクソンの命日にお台場で「Beat it」を踊りだす人々。マイケル役らしきメインダンサー以外はみんな普段着。さすがに中心となる10人ほどのメンバーは本物ダンサーのように思えるが、途中から参加する100人ほどの人たちは、おそらくはマイケルが好きで集まった不特定多数の人たちだ。曲が終わるとアッと言う間もなく解散。何事もなかったかのように散っていく。リアルな場を共有するのはその時かぎりで、つながりは薄いままなのだ。

 

九州新幹線のCM

http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU

 

 九州新幹線のCM2011年度、カンヌ国際広告賞で金賞を得た素晴らしいものだが、これも一種のフラッシュモブだ。新幹線に向かっていろんな扮装をして手を振る人たち。広告会社による「やらせ」はなく、集まってくれるよう呼びかけただけだそうだ。個性的で楽しそうなお祭り騒ぎぶりは、どれも手作り感があって人々のオリジナルだ。20年前の日本人なら考えられないことだ。目立つことを嫌い、自己表現は苦手というのが日本人の傾のはずなのだが、全く逆の姿が表れていて、感動的だ。このCMの中で「あの日、手を振ってくれてありがとう。笑ってくれてありがとう。1つになってくれてありがとう。」というナレーションが流れる。この言葉は、フラッシュモブを楽しむ人たちの価値観をそのまま表しているとも言えるかもしれない。

 インターネットは、人々をフラットに結びつけた。富裕な人も、そうでない人も、有名人も、無名の人も、権力を持つ人も、持たない人も、人気者も、シャイな人も、外国人も、日本人も、インターネット上ではあまりされない。リアルな社会の力関係のようなものを持ち込むのは、むしろ無粋というものである。そして、それがリアルに登場するフラッシュモブでも、人々の関係性はフラットなのだ。マイケルジャクソンの「Beat it」を踊る人たちが、みんな普段着なのも面白い。

 

 

東北支援チャリティーイベント 羽田空港フラッシュモブ

http://www.youtube.com/watch?v=7daxgc4v6kY

 

 2012年の年末に羽田空港で行われた第九のフラッシュモブは、フラッシュモブの形態を取っているが、フラッシュモブではなく演奏会に近い。しかし、やはりみんな普段着である。演奏会用の特別ステージがあるわけもなく、次第に楽器を手に集まってくるオーケストラの人々は全員がプロの演奏家というわけでもなさそうであり、吹き抜けロビーの階段などに見物人に混じって歌いだす合唱隊の人々もやはり普段着だ。第九はポピュラーな合唱曲なので、たまたま一緒に歌いだした見物人もいるだろう。そのフラットな関係性はフラッシュモブの特徴である。

 

 フラッシュモブは現代アートだと言ってもいいのではないだろうか。IT革命によって、アートは特別な天才だけに作り出せるものではなくなり、誰もがクリエイティブに作品を作り、発表するようになった。誰もがアーティストだ。美術館はアートを一部の所有者の手から、一般大衆の所有物に変えたが、IT技術は誰もがアーティストであることを可能にした。

 フラッシュモブが与える感動は、パフォーマンスアーティストが与える感動と違わない。参加する人々がそれをアートと捉えていなくても、その行動はアートと呼べるだろう。

2013.4.13

 


「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」展

 

 3月、東京都写真美術館で開かれているアーウィン・ブルーメンフェルド展を見に行った。正直、はじめて聞いた名前だった。エドワード・スタイケンの次世代にあたるファッション写真家らしい。

 ブルーメンフェルドは、ベルリン生まれで、2つの世界大戦を経験したユダヤ人である。当時のベルリンは芸術の先進地であり、特にダダイズムに深く影響を受けている。

 ハーパース・バザーやヴォーグでのファッション写真は、そんな悲劇的な背景を持つ人物が撮ったとは思えない、モダンで垢抜けたものばかりなのだが、その手法は、確かに第二次大戦前のドイツで盛んだったバウハウスの芸術運動を思わせるものがあったり、ダダイズム的ともシュールレアリスム的とも言える、実験的手法のものも多い。

 芸術家が、純粋に芸術だけで生きていくには、アルフレッド・スティーグリッツやマルセル・デュシャンのように、もともと裕福であることが必要である。ブルーメンフェルドはもともと裕福なユダヤ人家庭に生まれたのだったが、2つの大戦に翻弄され、彼自身は裕福ではなかった。そういった経済的に不遇な芸術家は芸術活動を続けられないのか。当時、そういった不遇な芸術家をサポートする役割を果たしたのが、ヴォーグなどのファッション写真であった。かつてエドワード・スタイケンがファッション写真を手がけたのも、経済的な理由からであったが、彼はヴォーグをルーブルに仕立て上げたのだった。スタイケンの活動があったからこそ、ブルーメンフェルドのような次世代のアーティストが育ったと言える。その後もヴォーグやハーパース・バザーは、フォトグラファーの表現を最大限尊重し、アーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンが登場することになる。

 

 写真スタジオにバイトの面接に行って、「職人になりたいか、アーティストになりたいか」と聞かれたことがある。現在の日本において、写真で仕事をするということは職人であることを求められるということである。注文されたとおりの写真を忠実に作ることが出来るかどうかが大切であり、「個性はいらない」そうである。

 私が大学で指導を受けた先生は「カメラマンになりたいのか、写真家になりたいのか」とよくおっしゃっていた。カメラマンは職人であり、写真家は自分の個性を表現するアーティストという区別が、先生の中にはあった。先生はカメラマンとして生きて行くことに大変悩んだ時期があったそうで、写真家と呼ばれるような仕事を残そうとフリーになったそうである。

 しかし、それは区別しなくてはいけないことなのだろうか。アメリカでのヴォーグやハーパース・バザーが果たしてきた役割を担うものは今の日本にはないのだろうか。職人仕事とアーティスト活動を厳密に区別しすぎると、文化の幅を狭めてしまうことになるのではないだろうか。

 映像の分野においては、松本俊夫などの芸術家が実験映画や特撮などの分野で芸術的作品を残してきた。それらは今では美術館で所蔵されるものである。それは、芸術家である松本俊夫らが妥協の産物として作品を作ったとも言えるが、芸術行為を育てる役割を担うことをよしとした企業があったからこそである。

 近年、アートとして写真は注目されてきていて、撮影された当時は芸術作品として認識されていなかったものも、芸術作品として認識され、美術館に所蔵されるようになってきている。職人仕事と芸術作品の境界は曖昧であり、時代によって変化する。

 

http://syabi.com/contents/exhibition/index-1803.html

 

2013.4.11.

 

 


 

 

NHK放送文化研究所

2013年 春の研究発表とシンポジウム」

 

シンポジウム  

ソーシャルパワーがテレビを変える~

 

(3)情報発信の民主化

 

 テレビで「天空の城ラピュタ」が放送されるとクライマックスでたくさんの人がテレビに合わせて「バルス!」とツイッターでつぶやく。201112月9日の放送では、全世界で14594/秒で、世界最多記録となったそうだ。つまり、それだけの人がその瞬間はテレビを見ていたということである。

 

(グラフは下記ページを参照)

http://blog-imgs-44.fc2.com/n/e/w/news020/4e33ccb7.jpg

 

 この結果を見て、日本テレビの岩井氏はSNSを利用して視聴率の向上をはかろうと試みた。「エヴァンゲリオン」の映画をテレビ放送するのに合わせて、データ放送やスマホで参加できるゲームを作成し、放送に合わせて楽しんでもらうものだ。ヤシマ大作戦に参加する気分が味わえるという仕掛けである。しかし、残念ながら、それほど視聴率は上がらなかったようである。

 

(エヴァンゲリオンについては以下を参照)

http://news.livedoor.com/article/detail/7116282/

 

 このことは何を示しているのか。データ放送では、テレビの画面にゲームの状況も表れる。テレビはほぼ飽和に近く普及しているとはいえ、一人一台のメディアではない。テレビは通常、家庭の中でも居間に置かれている。特に地上デジタル放送に切り替わったばかりで、それに対応するテレビが1家庭に2~3台も普及はしているとは考えにくい。テレビは家族の共有物なのである。その状況で、家族の一人がデータ放送を使って遊ぶことはしにくいであろう。スマホもまだ普及途上であり、番組を見ながらスマホを使ってゲームに参加するのはそれほど多くはないかもしれない。つまり、ハードの普及率の低さが視聴率が上がらなかった要因の1つと考えられる。

 しかし、より大きな要因として、注目したいのは、「放送局から仕掛けられたゲームであった」という点である。ラピュタの「バルス」の場合、自然発生的に盛り上がって爆発したものであって、マスメディアが仕掛けたものではない。そこには、能動的な参加があり、フラットな関係性があって、参加者たちの一体感が生まれたのだ。これは、東日本大震災の後の節電が行われていたとき、ネット上で「ヤシマ大作戦だ」と不特定多数の人たちが呼びかけ合って、節電を積極的に行ったという現象にも通じる。

 インターネットによって、人々の意識は大きく変化している。インターネット以前の時代には、情報を発信できるのはマスメディアであり、そこに参加出来るのは、高い教育を受けた特別な人々、エリートだった。そして、マスメディアは第3の権力とも呼ばれ、世論の形成に大きく関与し、流行を生み出し、文化を育ててきた。今もマスメディアに関わる人たちは当時と同様に高い教育を受けたエリート階層である。しかし、情報はマスメディアが高いところから降り注ぐようなものではなくなっていて、誰でも発信できる。マスメディアは情報を誰にでも手に入るものにした点で情報の民主化を達成したが、インターネットは、情報発信すること自体を民主化した。

 

 インターネットでは、すっぴんからメイクをしていく過程を公開したブログが人気である。素顔はごくあどけない、どちらかというと地味な顔立ちの女の子が、メイクをどんどん盛っていって瞳の大きな華やかな美女に変わっていく。「自分も出来るかも」という共感を呼ぶ。雑誌で活躍する美人モデルたちはプロのスタイリスト、美容師、エステティシャンなどによって作り上げられた特別の存在である。一方、自分でメイクを作り上げていく女の子は自分たちとフラットに繋がっている。雑誌のモデルを見て、「あんな風になりたい」というより、ブログを見て「私にも出来る」と思えることが今の時代の流行をつくる。

 

 「エヴァンゲリオン」のテレビ放送に合わせたオンラインゲーム展開が視聴率に繋がらなかったのは、ハードの普及率の低さよりも、この情報発信の民主化による人々の意識変化の方が主要な原因であったと考える。

2013.4.8

 

 


原美術館のそばにあった消火器の箱。
原美術館のそばにあった消火器の箱。

ソフィ カル 

「最後のとき/最初のとき」


 

 ソフィ・カルの展示が原美術館で行われている。初日に早速見に行った。

 ソフィ・カルは私にとって、いつもよくわからない芸術家だ。どこがどう芸術なのか、といつも感じるのだ。また、彼女の取り上げるテーマが私の個人的な事情と共鳴する部分もあって、いつも気になるのだ。

 

 はじめて、ソフィ・カルの作品を見たのは授業においてだった。彼女が探偵を雇って自らを尾行させた作品であったり、誰かを尾行して作品化したものだったり。また、拾った手帳からその持ち主を推測する過程を新聞連載にするとか。プライバシーの侵害なんじゃないか?とか、ふざけているにしては悪質なんじゃないか?とか、とにかくとても不快だった。これのどこが芸術なんだろう。写真においては世界的な賞であるハッセルブラッド賞まで獲得する価値がどこにあるんだろう。

 

 彼女の作品の特徴は、どこまでが本当でどこまでがフィクションなのかわからないということだ。芸術がある種の真実を追い求めるものだとしたら、彼女の作品は最初から最後まで虚と実の判別が出来ない。その曖昧さが彼女の1つのテーマでもある。だから、彼女の作品を観ると、日常の中で身に付けて来た常識とか価値観を攪乱されるのだ。

 

 今回の展示は以前の作品に比べるとずっと理解しやすく、感動さえ覚える。まったく不快感はない。生涯一度も海を見たことがない人々を海に連れて行き、海を見た時の表情やリアクションを映像作品にしているものが「最初のとき」。中途視覚障害者となった人々に最後に見たものは何かを問い、その光景をソフィが写真化している「最後のとき」。見ることとはどういうことか、美とは何か、を問いかけている。

 

 「最初のとき」では海を見て泣いている老人の姿もある。しかし、それは海を「見た」から泣いているのか。初めて「見た」ことの感動なのか。展示の一番最初の部屋には「盲目の人々」という作品から一点だけ展示されていた。生まれつき目の見えない人に美のイメージとは何かを問いかけたもので、「海」と答えた人についての作品だ。一度も見たことがなくても、海を美しいと感じるのだ。それは美は「見る」ことに依存するものではないということだ。私たちの生活は自分たちが自覚する以上に「見る」ことに依存している。新聞、雑誌、書籍、テレビ、インターネット、パソコン、それらを私たちは「見る」。美術館ではお静かにと言われつつ、美術品を「見る」。しかし、視覚だけで感じているのではない。聴覚、触覚、嗅覚など五感を働かせて感じている。海を美しいと言う生まれつき目の見えない人も、初めて海を見て泣いた老人も視覚に頼って感じているわけではなく、全感覚で感じているのだ。美は視覚だけで感じ取るものではない。

 

 一方、「最後のとき」は辛い作品だ。事故や事件に巻き込まれたり、病気で視力を失った人たちが、最後に見たものを語る。それらを昨日のことのように鮮明に語る人もあれば、最後に見た夫の顔の記憶がだんだん薄れていくことを嘆く女性もある。視覚による認識とは何なのだろう。視力は無くなっても、鮮明に記憶されているものもある。視覚による記憶が薄れた分、夫の顔を手で触って、記憶をしている女性もある。夫はイケメンだったと語る女性は、手で触ってもその夫の顔をイケメンだと認識する。視覚に頼る美とは何なのだろうか。視覚に頼らなくても美は感じられるのだ。

 

 ソフィ・カルの作品はいつも問いかける。そして考えることを求める。答えは提示しない。ただ、問いかけてくる。

2013.4.8

 

http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html

 

 

 


 

杉本博とベンツのコラボレーション
杉本博とベンツのコラボレーション

アートフェア

 

 3月末、東京国際フォーラムでのアートフェアに行った。たくさんのギャラリーがそれぞれイチオシの美術品を出品。

 現代アートあり、古伊万里などの骨董品もあり、書もあれば、ビデオアートもある。もちろん、一番多いのは油絵などの絵画。

 それにしても、決して安くはない入場料を払ったのだが、なんだか蚤の市に来た気分なのだった。

 写真について言えば、「IMA」を発行するアマナグループが大きく一角を占め、迷路のような不思議な展示構成が行われていた。キツキツに詰め込まれた写真たちは、写真のアートとしての価値と、層の厚さを伝えたが、キツキツすぎて、やはり蚤の市な気分を味わったのだった。別の一角には写真専門のギャラリーが共同で大きなブースを形成していて、写真に対する注目度の高さを感じさせた。

 蚤の市のような会場を歩きながら、芸術とは何のためにあるのかを考えた。そこに並べられているものは、どれも値段を見ると、驚かされるものばかりだった。しかし、たいして目の肥えていない者から見ると、がらくたと紙一重といってもおかしくないのだ。

 生活上の何か便利に役立つわけでもなく、技術の発展に寄与するわけでもなく。生活に潤いを与えるものだと言えばそうなのかもしれないが、それにしては値段は半端なく、驚かされるものばかりなのだ。おそらく購入するのはコレクターと呼ばれる人たちなのだ。

 芸術とは、コレクターの所有欲を満たすためのものなのか?結局、芸術は富裕な人々の戯れと富の誇示のためにあるのか?芸術家は何のために自己表現を目指すのか?

 芸術はどんな分野であれ、芸術家はおおげさでなく自分の身や魂を削って作品を作り出す。それに値段をつけるということは、ある意味ではとても嫌なことなのではないだろうか。蚤の市的に並べられているのは、果たしてうれしいことなのか、悲しいことなのか。

 コレクターに所蔵された作品は多くの人に見てもらう機会を失う。芸術は誰のためにあるのか?一方で、コレクターが芸術家を育てるのも事実である。芸術はいつも矛盾をはらむ。

 作品を愛してくれるコレクターに所蔵されるならまだましで、投機目的で購入される芸術品は芸術家が込めた魂など理解されないだろうし、マネーロンダリングのために購入されていく芸術作品だってある。

 蚤の市的なアートフェアをうろつきつつ、微妙に醒めた気分を味わってしまった。美術館や芸術祭でアートを楽しむというのとは全く違うのだ。それは、単に私が作品を購入するだけの経済力を持っていないからなのか、まがりなりにも写真作品を作る側の人間だからなのか。例えば自分の作品がアートフェアで飾られて値段をつけられて販売されるとしたら、それはうれしいのか、うれしくないのか。もちろん、うれしいことなのだろうが。「写真を売るということがどういうことなのか、どんな作品が売れるのか、まず買ってみればわかる」とよく言われる。矛盾は私自身の中にもありそうである。

 アートフェアの入り口には世界的アーティスト杉本博の写真作品をプリントしたスポーツカーが展示されていた。芸術的実用品であるスポーツカーと現代アートの融合である。しかし、杉本博の世界的作品が、金持ちの道楽のためのものに堕してしまった感があった。

 

 写真はオリジナルプリントがアートとして販売されることもあるが、写真集という形で表現されることもある。これも販売されるものであり、出版社とかいろいろ関係する人が増える分、より商業的になる。しかし、写真集という形式はより作家の伝えたいことを表現できるものだ。そこには作家の人生とか価値観とか魂とかといったものが表れる。それは、魂を売ってることなのか?いや、そうではない。写真集になって、それを見て感動してくれる人がいて、共感してくれる人がいて、のちのちの世代まで受け継がれていくことが出来れば、それは本望なのだ。オリジナルプリントの素晴らしさも価値もよくわかるのだが、その価値は市場によって弄ばれるリスクもある。

 芸術って何だ?何のためにあるんだ?

 

 アートフェアでロバート・メープルソープの写真のポストカードを購入した。それらは、今キッチンの壁に飾られている。

 こんな風にポストカードとして作品が見ず知らずの日本の小さな家で飾られてることをメープルソープはきっと喜ぶだろう。

2013.4.7

 

 


 

 

アラム・ディキチヤン写真展「OUTLANDS

 

http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2013/aram/

 

 シャネルのネクサスホールで開催されている写真展を見に行った。フィルムによる美しいモノクロ。ディキチヤンの作品は砂のような質感とミニマルな印象、さらりとしたシンプルさ、鬱々とした方向に行かないメランコリック」と評されているそうだ。

 「まぶしい」というのが第一印象。余白の多い画面構成だからというわけではない。写真家自身が「まぶしい」と感じたものを撮ったのかな、という印象である。

 「まぶしい」にもいろいろある。草花も陽の光も「まぶしい」。きれいな女の人も「まぶしい」。少し古い表現になるが、いい感じの女性をのことを「まぶい」と言う表現もあった。まさにこの「まぶい」感じがどの写真からも感じられる。草花も桜も、スタジオで撮られたヌードも、まぶい。

 日本女性を外人のフォトグラファーが撮ると、たいがいみんな似た感じで、アジア女性に対するステレオタイプな見方を感じてしまうが、ディキチヤンの写真の日本女性は普通に美しい。女性たちはまぶしい光を放っている。こんな風に撮ってくれる外人さんもいるんだなあ。日本人として少しうれしい。

 

 私もこんな風にまぶしい写真が撮りたい!と思い、ディキチヤンの桜の写真を真似て桜を撮ってみたのだった。メランコリックには撮れたけど、まぶしい桜にはなってないかな。

2013.4.5

 

考えない人、の足
考えない人、の足

「会田誠 天才でごめんなさい」展

 

 森美術館の展示はいつも刺激的で、面白い。今回の会田誠展は、日本のそのまんまを表している。流行とかオタク文化とかエログロとか、盛りだくさんの混沌を楽しんでる感じかと思えば、「灰色の山」のような深読みすればいくらでも深読み出来てしまう哲学的香りの作品もある。

 ホームレスの人たちがいる新宿に設置したところ、すぐに撤去されたという段ボールでつくられた姫路城ばりの「新宿城」とか、児童ポルノ、児童虐待と騒がれた作品群の18禁の展示室があったり。どれも基本はユーモアと皮肉と逆接。遠目には日本の伝統的水墨画の山水のように見える「灰色の山」は、近寄ってみると丁寧に描かれたサラリーマンの死体の山だ。そのテクニックに圧倒させられながら、ゾッ。

 芸術家というのは、最も浮世離れしているようでいて、最も時代の空気を体現してしまう。霊媒師とか、そんな感じのものだと思う。「考えない人」というおにぎり頭のフィギュアは、会田誠自身を表してるそうだが、弥勒菩薩像のポーズで半目をして、無我の境地。

 作品を産み出すことで無我の境地になるのか、無我の境地になるから時代を映す作品ができるのか、作品を作ってるときが一番の無我の境地なのか。

 

 それにしても、何となくモヤモヤした気分を抱いた。

 例えば、ポスターの部屋。小中学生のころに誰もが描かされた記憶のある「みんな仲良く」とか「平和」とかのポスター。会田はその「描かされた」ことが気持ち悪かったそうで、それを皮肉った作品群。わざと稚拙に見せて描かれた絵にわざとらしい標語のような言葉がのせられた作品群。面白かったが、少しモヤモヤ。

 そのモヤモヤが何かと言えば、それらの作品は現代アートとして六本木森ビルのトップにある森美術館が大々的に取り上げて展示しているからこそ、見に来た人たちは現代アートとして認知するのではないか、ということだ。

 会田誠は日展の権威とか、美術とはこうあるべきという価値観を否定して作品を作っているわけだが、一方で、美術館で展示することを好む。現代アートの聖地としての森美術館が会田誠の作品に権威を与えているわけだ。会田誠の作品はアートとしてコレクターが高額で購入する。

 ポスター群の作品をアキバの商業ビルのフロアで展示していたら、いったいそれを現代アートとして認知するひとがどれだけいるのだろうか。むしろそういう展示の方が、権威を否定していて、アートな展示なんじゃないかとさえ思えるが。

 

 つまりは、権威や価値観を否定する会田誠の作品群を、これこそが日本の現代アートだと権威を与える美術館が展示することの矛盾。モヤモヤ感の正体は現代アートの中に自己矛盾は常にあるということなのかもしれない。

2013.4.3

 

http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/about/index.html

 

 

NHK放送文化研究所

2013年 春の研究発表とシンポジウム」


http://www.nhk.or.jp/bunken/symposium/2013/program.html#g 

 

シンポジウム  

ソーシャルパワーがテレビを変える~

 

 (1)「参加する」コミュニケーション

 

 SNSの広まりによって、テレビをつけていても、手元のスマホでツイッターやフェイスブック、2ちゃんねるをチェックしている若者が増えている。このSNSによって、テレビはどう変わるのか。

 いや、問題なのは、情報に対する人々の意識変化なのだと思う。それを、テレビやインターネット業界の人はどうとらえているのか。興味があって参加した。

 

 シンポジウムのパネラーには、NHKの方と日本テレビの方とインターネットのニワンゴの方と、関西学院大学の先生。

 

 テレビ業界はインターネットが登場したことで、かなりの危機感を抱いている。その主要な要素はお金の問題。NHKは視聴料で、民放は広告収入。

 テレビはついていても、集中して見ているかというと、そうではない人が多く、若者にはテレビを持たない生活をしている人も増えている。そんな中で、どうやったら、テレビを見てくれるのか、いかにテレビへの導線を引くか、というのがテレビ局の人の視点。一方で、インターネットにあふれる情報はほぼ無料なのだけど、それらの情報をいかにお金にかえていくか、というのがインターネット業界の人の視点。

 

 しかし、重要なのはIT技術とインターネットが変えてしまった人々の意識や価値観を見極めることではないのか?今回のシンポジウムはツイッターで参加することが出来たので、何度となく、ツイッターでつぶやいた。この「つぶやける」「参加出来る」ということが、ソーシャルパワーとテレビの関係をそのまま表していると感じた。

 

 2013年 春の研究発表とシンポジウム」は3日間あって、全部で7つの研究発表やシンポジウムがあった。そのうちの3つに参加したが、ツイッターで参加出来たのはこのシンポジウムだけだった。どのシンポジウムも基本的に決められた時間内に収まるように、全て準備されていて、パネラーの方々の話も事前の打ち合わせがあった上で行われている。収録されたテレビを見ているような感覚さえ覚える。これが、テレビ局の情報に対する姿勢なのだな、と感じた。テレビ局にとって、情報は一方的に流すものなのだ。そして、それは隙なく緻密にくみ上げられた芸術作品のように準備されている。それを「放送」と呼ぶ。

 マスメディアの全盛期の1980年代までの感覚をマスメディアはまだ脱していない。テレビが主流の時代、人々は情報に対し受動的で、マスメディアの情報が流行も文化もつくってた。

 

 テレビの人はインターネットの情報を「通信」と呼ぶ。放送と通信を別物ととらえている。そこに齟齬がある。どちらもコミュニケーションだ。放送も通信も情報のやり取りだ。ツイッターでつぶやきながらシンポジウムを受けたが、単に聴いているだけのシンポよりも、よっぽど面白く、興味深く聴くことが出来た。ときどき、ツイッターの内容が紹介されることもあって、それによって、パネラーの方たちが思考を深めてくれる感覚もあり、わずかにツイッターであっても、コミュニケーションが成立している、シンポジウムに参加しているという感覚があった。

 

 この「参加する」という感覚、「コミュニケーションしている」ということがSNSの重要な点だ。

 ドラマやスポーツをテレビで見ながら、ツイッターやLINEやフェイスブックで友達と感想をつぶやきあったりする。それによって、単についているだけのインテリアのようなテレビではなくなり、テレビからの情報に興味が引きつけられる。テレビ番組の中には、随時、ツイッターの内容を流しているものもある。それによって、テレビ番組は「参加する」ものになるのだ。

2013.3.30

つづく。

 

 


 

NHK放送文化研究所

2013年 春の研究発表とシンポジウム」

 

シンポジウム  

ソーシャルパワーがテレビを変える~

 

(2)テレビはラジオ化する

 

 シンポジウムを聞きながら、ツイッターで何度となくつぶやいた。

 「テレビはラジオ化すると思います。

  つまり、ラジオ番組がリクエストなどで番組がつくられているように、

  番組をプラットフォームにして、人々が集まる広場ができたり、

  そこにSNSが展開されると面白いです。」

 「AKBのファンがアイドルを育てるのを楽しんでいるように、

  人々は番組に参 加して育てたいという欲求を持っていると思います。」

 「テレビはかつてのような圧倒的存在ではなく、

  もっと人々の意識に近くなる必要があると思います。」

などなど。

 テレビが登場した当時、まだまだテレビが未知の存在でラジオが主流だったのが、あっという間にテレビがマスメディアの主流になった。

 マクルーハンは、テレビを「クール」なメディアと読んだ。クールなメディアとは、解像度が低いもの。テレビが登場したころの画像は白黒だったり、カラーになっても画面はさほど鮮明ではなかったり。そういった不完全な情報に対して、受け手は不完全な部分を自ら補完しようと、能動的に情報に接する。

 しかし、テレビは進化して、解像度の高い鮮明な画面になり、わかりやすさが最重要な番組づくりによって、「ホット」になった。ホットなメディアに対し、受け手は全く受動的になる。

 1980年代ころには、完全に人々はテレビになじみ、情報に対して受け身で、情報を肌で感じることに慣れてしまっていた。

 しかし、インターネットという新しいメディアが人々を変えた。ネット上の情報は玉石混淆で画像も鮮明でないものが多い。情報の真偽もあやしいものも多い。インターネットは「クール」なのだ。人々は情報に対し、懐疑的に接し、情報を取捨選別する。しかも、自分から情報を発信することも容易。情報に対し、すっかり能動的になった。

 テレビが「ホット」なままではつまらないのだ。特に、東日本大震災の後、テレビの情報がいかに管理統制されているものなのか、人々はまざまざと見てしまった。いいかげんな情報はネットですぐに暴かれる。

 

 ごまかしは通用しないし、テレビが上から目線で作った仕掛けやシナリオや広告に人々は踊らない。そして、人々の情報を発信したい、能動的に参加したい、という人々の意識に応えるには、テレビはラジオ化するのが1つの方法だ。ラジオ番組がリスナーのお便りで構成されていくように、双方向性を高めること。番組という場にたくさんの人が集い、コミュニティが出来上がるくらいに。たくさんの人から寄せられる声、情報をテレビが取捨選択し、紹介する。そして、それによって、ネット上のSNSが盛り上がり、さらにテレビにはね返ってくる。そうやって、人々とテレビがコミュニケーションを楽しめるようになれば、そこにテレビ局の人にも予測不可知なものが生まれ、「クール」なメディアになる。これは、ニュースや情報番組やバラエティなどで既に試みられていて、とても興味深い。

2013.4.1

もう少しつづくかも

 


 

六本木アートカレッジ

「美術の時間に教わらなかったアート入門」

第3回 サブカルチャーから見た現代アート

  

 http://www.academyhills.com/note/report/2013/staff130327.html

 

 講師は宇野常寛という方で、日本のアニメとサブカルチャーについて熱く語っていた。ガンダムやエヴァンゲリオンに見る日本の文化の成熟度とか、ファンの動向とか。

 アニメオタクと呼ばれるファンたちがコミケで繰り広げる二次創作、三次創作の輪。90年代前半までは、年に数回行われるコミケだけが彼らの交遊の場だった。その雰囲気や熱気は一種独特で、そこで交遊出来るひとたちも都市部のそれなりに資金力とコミュニケーション力の高いオタクに限定されていたそうだ。それはかなり閉じられたコミュニティだったと言える。

 2000年代以降、インターネットの登場によってそのコミュニティは開かれることになる。場所にも時間にも資金力にも限定されない。シャイな人でもネット上のコミュニティにはアクセス出来、自分たちの二次創作・三次創作したものを発表したり、仲間の創作を見て盛り上がることが出来る。

 そのコミュニティの1つのあり方が「初音ミク」だ。音楽だったり、アニメだったり、コスプレだったり、ありとあらゆる創作が行われている。中にはすごいクリエイターが参加したりして高度な表現もあるが、基本的に誰でも参加出来、誰でも作れて、初音ミクに関してはみんなフラットなお友達感覚だ。ネットは軽々と国境を越えて、初音ミクは世界中をつなげている。

 しかし、宇野氏の話に登場するオタクの世界は、世界中と繋がっていても、閉鎖的な印象。対談で登場した津田大輔氏が、最近、アートとオタクとウラハラ(裏原宿)の文化が融合してきている点を指摘すると、宇野氏は少し殻に閉じこもるような態度。オタクの聖地アキバとストリート系ウラハラの文化は別物だという頑な感じ。オタク文化とアートの関係についても、宇野氏はどこか「オタクを理解していない、できるわけがない」的な独善性を見せる。オタクの世界は、広がったようでいて、精神的には狭いコミュニティなのかもしれない。だからこその熱気とか盛り上がるものがあるわけで、オタク文化はそれを汚されたくないのだろう。

 しかし、津田氏の指摘したアートとオタクとウラハラの文化は確かに融合しつつあり、それぞれのあり方を変えつつある。それらをつなぐ役割を果たしているのも、インターネット。IT革命とはよく言ったもので、あらゆる技術が変化しつつあるだけではなくて、人々の意識も革命的に変化しつつあるのだ。

 アートは特別な才能を持つ人が全人生を賭けて表現したものばかりではなくなりつつある。誰もがどこからでもいつでも表現することが出来、一人で作り上げるものばかりでなく、大勢の人によってつくりあげられるものもある。参加型アートの増加にそれを見ることが出来るし、関係性を作り上げること自体がアートとして認知されることもある。「初音ミク」の現象は既にアートと呼べるかもしれない。

2013.3.28

 

 


砧公園近くの道は、桜のトンネルだった。
砧公園近くの道は、桜のトンネルだった。

エドワード・スタイケン展

 

 桜はほぼ満開なのに、このところ寒い日が続く。おかげで桜は散らずに今週末まで持ちそうである。もう衣替えしちゃったのに、と思いつつ分厚めな上着を着て、エドワード・スタイケン展を見るため、砧公園の世田谷美術館に出掛けた。

 エドワード・スタイケンは偉大な写真家だ。スティーグリッツとともに写真を芸術に高める役割を果たし、自身はMOMAの写真部の初代のキュレーターとして、「family of man」展など、歴史に残る展覧会を企画した。

 一方で、ファッション写真家としても活躍し、今回の写真展はそれらのファッション写真が中心。

 どれも素敵な写真なのだけど、「なぜ今、スタイケンのファッション写真なんだろう」と疑問を抱きつつ観た。

 インターネットの普及により、紙媒体の雑誌業界は苦しいらしく、昨日のニュースでは講談社の女性雑誌2誌が休刊すると出ていた。そんな時代に、なぜ?展覧会の壁にはスタイケンの「いつだって一番いいものは商業媒体にあった」という意味の言葉が書かれていた。スタイケンは「ルーブルにあるから芸術なんだ。ヴォーグをルーブルにしよう」とヴォーグの編集長に語ったそうだ。

 つまりは、この展示は斜陽になっている雑誌文化、出版文化や広告文化へのエールとしてのものなのだろうか。かつては広告は花形産業だった。今も花形産業ではあるが、広告費は節約傾向であり、かつてほどの勢いはないのかもしれない。

 しかし、広告や雑誌・出版は確かに文化を作り上げてきたのだった。スタイケンに続いて、アーヴィング・ペンやアヴェドンらの素晴らしい写真家が登場したのもファッション雑誌だった。

 今回のスタイケン展は少し懐古趣味的。

 今や、雑誌やテレビの広告で人々は踊らない。情報はマスメディアからもたらされるありがたいものではなく、誰でもどこでもいつでも発信できるものになった。流行はストリートで生まれ、ネットによって広まる。人気ブロガーの発信力は雑誌以上の影響力を持つ。

 もう、スタイケンやペンやアヴェドンのような圧倒的存在として、文化を牽引したファッション写真家は登場しないのかもしれない。

 日本では長く写真の最終形態は印刷であり、写真をアートとして見る傾向は薄かった。しかし、このところ、日本では、有名広告写真家がアートとしての写真へとシフトしている。広告写真のアマナグループは『IMA』という雑誌を創刊し、アートとしての写真を後押ししている。

 大きな社会の変化が、写真をアートの主要なジャンルに変えつつある。

      2013.3.26

 

 


六本木アートナイト

 

 もう桜も咲いているのに、寒い夜、六本木アートナイトを見に行った。3月23日(土)、夜が深まるにつれてどんどん人が多くなる。今回は日比野克彦がプロデュース。アートステイトメントには次のように書かれていた。

 

 眠るまでが今日

 起きると明日

 今日と明日の間に夜がある

 今日が明日になるのを目撃せよ!

 暗闇があるからこそ想像力が生まれた

 闇から生まれるアートの力

 闇は時間を超越し

 アートも時間を飛び越える

 

 六本木アートナイトは

 アーチストたちの船が

 六本木の港に寄港する夜

 想像の世界からの宝が船に乗っている

 

 自分の船を巡らせて

 アーチストたちの宝を

 積み込みに行こう。

 

 寒さに耐えきれず明日になるのを目撃せずに帰って来てしまったのは、我ながら残念なのだけど、その寒さが東北を思わせた。

 東日本大震災から2年、その衝撃がいかに大きく、時間が経って忘れさられるどころか、大きくアートを変化させてしまったことを実感した。

 展示されている作品の多くは船や海がモチーフであり、東北とのつながりを持っている。日比野克彦の作品も、東北の炭を燃料にした灯台だ。そして、参加型アートが多かったのが印象的だった。集まった人たちが制作に参加することによって、作品が完成されて行く。段ボールでつくられた船にたくさんの人たちが真剣な表情でペタペタとシールを貼っていたり、「そらあみ」と名付けられた漁業網を教えてもらいながら編む人たちがいたり。

 自分もわずかながらアートの作成に参加しながら、ふと「千人針」を連想した。戦争中に出征する身内の無事を祈って、女性たちが見知らぬ人にも協力をしてもらって縫った千人針。

 東北が一日も早く復興しますように、東北の人々に幸せな日々が早く訪れますように。

 どのアートも稚拙とさえ思えるほどの手作り感にあふれながら、ほのぼの感よりも、「祈り」を感じた。多くの人の手によってつくられること自体がとても重要なのだ。おしゃれな格好をした若者たちが、ふざけるわけでもなく、それでいてアートを一緒につくることに喜んで参加していた。

 アートは近代以前は宗教的なものとは切り離せないものであったのは確かだが、現代の日本において、それも東京の最も洗練された場所の1つである六本木で、今回のアートナイトはポップに見せながらも、原始宗教的な祈りの空気を濃く放っていた。