アーウィン・ブルーメンフェルド、粋です。

図録より
図録より

「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」展

 

 3月、東京都写真美術館で開かれているアーウィン・ブルーメンフェルド展を見に行った。正直、はじめて聞いた名前だった。エドワード・スタイケンの次世代にあたるファッション写真家らしい。

 ブルーメンフェルドは、ベルリン生まれで、2つの世界大戦を経験したユダヤ人である。当時のベルリンは芸術の先進地であり、特にダダイズムに深く影響を受けている。

 ハーパース・バザーやヴォーグでのファッション写真は、そんな悲劇的な背景を持つ人物が撮ったとは思えない、モダンで垢抜けたものばかりなのだが、その手法は、確かに第二次大戦前のドイツで盛んだったバウハウスの芸術運動を思わせるものがあったり、ダダイズム的ともシュールレアリスム的とも言える、実験的手法のものも多い。

 芸術家が、純粋に芸術だけで生きていくには、アルフレッド・スティーグリッツやマルセル・デュシャンのように、もともと裕福であることが必要である。ブルーメンフェルドはもともと裕福なユダヤ人家庭に生まれたのだったが、2つの大戦に翻弄され、彼自身は裕福ではなかった。そういった経済的に不遇な芸術家は芸術活動を続けられないのか。当時、そういった不遇な芸術家をサポートする役割を果たしたのが、ヴォーグなどのファッション写真であった。かつてエドワード・スタイケンがファッション写真を手がけたのも、経済的な理由からであったが、彼はヴォーグをルーブルに仕立て上げたのだった。スタイケンの活動があったからこそ、ブルーメンフェルドのような次世代のアーティストが育ったと言える。その後もヴォーグやハーパース・バザーは、フォトグラファーの表現を最大限尊重し、アーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンが登場することになる。

 

 写真スタジオにバイトの面接に行って、「職人になりたいか、アーティストになりたいか」と聞かれたことがある。現在の日本において、写真で仕事をするということは職人であることを求められるということである。注文されたとおりの写真を忠実に作ることが出来るかどうかが大切であり、「個性はいらない」そうである。

 私が大学で指導を受けた先生は「カメラマンになりたいのか、写真家になりたいのか」とよくおっしゃっていた。カメラマンは職人であり、写真家は自分の個性を表現するアーティストという区別が、先生の中にはあった。先生はカメラマンとして生きて行くことに大変悩んだ時期があったそうで、写真家と呼ばれるような仕事を残そうとフリーになったそうである。

 しかし、それは区別しなくてはいけないことなのだろうか。アメリカでのヴォーグやハーパース・バザーが果たしてきた役割を担うものは今の日本にはないのだろうか。職人仕事とアーティスト活動を厳密に区別しすぎると、文化の幅を狭めてしまうことになるのではないだろうか。

 映像の分野においては、松本俊夫などの芸術家が実験映画や特撮などの分野で芸術的作品を残してきた。それらは今では美術館で所蔵されるものである。それは、芸術家である松本俊夫らが妥協の産物として作品を作ったとも言えるが、芸術行為を育てる役割を担うことをよしとした企業があったからこそである。

 近年、アートとして写真は注目されてきていて、撮影された当時は芸術作品として認識されていなかったものも、芸術作品として認識され、美術館に所蔵されるようになってきている。職人仕事と芸術作品の境界は曖昧であり、時代によって変化する。

 

http://syabi.com/contents/exhibition/index-1803.html

 


 

 

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